ライダイハンとは何か?ベトナム戦争の闇と今も続く告発の真相
ベトナム戦争の終結から半世紀以上が経過した現在も、国際社会の片隅で議論が絶えない人権問題があります。「ライダイハン」と呼ばれる人々を巡る問題です。言葉自体は歴史や国際ニュースで耳にしたことがあっても、その具体的な背景や被害実態、そしてなぜ2020年代に入って英国をはじめとする欧州で真相究明の動きが急速に高まっているのか、その核心まで把握している人は決して多くありません。
戦場という極限状態のなかで何が起き、残された母子はいかなる過酷な戦後を生きてきたのか。韓国政府の対応や国際世論の変遷、被害者支援団体の告発の動きまで、長年にわたる歴史的経緯と2026年現在の到達点を多角的に整理して解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:ライダイハンとは、ベトナム戦争に派遣された韓国軍兵士らと現地ベトナム人女性との間に生まれた子ども、およびその母子を指す言葉です。
- 要点2:戦後に南ベトナムが崩壊すると母子は「敵国に通じた裏切り者」として激しい差別と貧困に晒され、数千人から数万人規模とされる被害の全貌は未解明のまま残されています。
- 要点3:英国の民間団体「ライダイハンのための正義」による国連調査要求やロンドンでの像設置など国際的な追及が続く一方、韓国政府による直接の公式謝罪や賠償は現在も実現していません。
【基本解説】ライダイハンとは?言葉の意味とベトナム戦争の歴史的経緯
「ライダイハン(Lai Đại Hàn)」とは、ベトナム語で混血を意味する「ライ(Lai)」と、大韓民国を指す「ダイハン(Đại Hàn)」を組み合わせた言葉です。ベトナム戦争(1955年〜1975年)の渦中、南ベトナムへ派遣された韓国軍兵士や民間企業の軍属・民間要員と、現地のベトナム人女性との間に生まれた子どもたちを指します。日常会話において「ライ」という語には差別的・侮蔑的なニュアンスが含まれており、彼らが置かれてきた過酷な境遇を象徴する呼称ともなっています。
事の発端は、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)政権下における韓国軍の大規模なベトナム派兵です。米国からの要請と経済援助を背景に、韓国は1964年から1973年にかけて延べ30万人以上の将兵を前線へ送り込みました。米軍に次ぐ規模の派遣部隊として各地で激しい戦闘を展開した一方、駐留地域では現地女性に対する性暴力や、現地の女性を内縁の妻のように扱いながら部隊の撤退時に現地へ置き去りにする事例が多発しました。
軍事作戦に伴う性被害だけでなく、補給基地や宿営地周辺での売買春、米軍や韓国軍を相手にせざるを得なかった貧困層の女性たちとの関係など、発生の背景には多様な側面が存在します。しかし共通しているのは、1973年の韓国軍撤退と1975年のサイゴン陥落によって、生まれた子どもたちと母親が一切の補償や支援を受けることなく戦乱の地に放置されたという事実です。
【人数の真相と被害実態】数千人から数万人?今なお曖昧な推計と過酷な差別
ライダイハンの人数については、これまで「数千人から数万人」と極めて幅のある推計が報じられてきました。ある民間調査では数千人規模と見積もられる一方、被害者救済を訴える支援団体などは最大で3万人近くに達すると主張しています。しかし、半世紀以上が経過した現在も公的な国勢調査やDNA鑑定による確定統計は存在せず、正確な総数は確定できていません。
正確な実態把握を阻んできた最大の要因は、1975年の共産党政権によるベトナム統一後に彼らが置かれた過酷な境遇にあります。戦争終結後、韓国兵と関係を持った女性やその子どもたちは、新政権と地域社会から「敵国に身を売った裏切り者の血筋」として徹底的な弾圧と差別の対象となりました。
差別の実態は生存を直接脅かすほど苛烈なものでした。母子は公職から追放され、子どもの多くは出生証明や戸籍の取得を拒まれ、初等教育すら十分に受けられない事態が頻発しました。地域コミュニティからの激しい嫌がらせから逃れるため、血統を隠して偽名を名乗ったり、人里離れた農村部へ移住して身を潜めたりしたケースも少なくありません。その結果、貧困の連鎖と文盲が固定化し、社会の最底辺での生活を余儀なくされてきたのが被害の生々しい実態です。
【なぜ今も議論が続くのか?】韓国政府の公式謝罪を巡る現在地と法的壁
ベトナム戦争終結から半世紀以上が経過した今もなお、なぜこの問題が国際的な論争の火種であり続けているのか。その根底には、「被害に対する真相究明と公式謝罪・国家賠償の有無」を巡る埋めがたい溝が存在します。
歴代の韓国政府は、民間人虐殺やライダイハン問題に対して曖昧な態度を取り続けてきました。金大中(キム・デジュン)元大統領や文在寅(ムン・ジェイン)元大統領がベトナム訪問時に「心に痛ましい負債を抱えている」「不幸な歴史に遺憾の意を表する」といった間接的な反省を口にしたことはあるものの、国家責任を明確に認めた「公式謝罪」や、ライダイハン母子を対象とした公的な国家補償は一度も行っていません。
2023年には、ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺の生存者が韓国政府を訴えた国家賠償請求訴訟において、ソウル中央地裁が韓国政府の賠償責任を認めるという歴史的な判決が下されました。司法の場において韓国軍の不法行為が認定された極めて重い前例となったものの、この判決は集団虐殺事件を対象としたものであり、戦時性暴力やライダイハン個々の権利回復・補償手続きに直接波及するまでには至っていません。
さらに問題を複雑にしているのが、韓国が対日外交で慰安婦問題や元徴用工問題を「普遍的人権問題」として追及してきた事実との整合性です。自国が加害の立場に立つ戦争責任に対しては口を閉ざす姿勢に対し、国内外からダブルスタンダードとの厳しい批判が浴びせられる背景がここにあります。
【国際的な告発】「ライダイハンのための正義」とロンドンの像設置、国連調査への訴え
膠着状態にあったライダイハン問題に大きな転機をもたらしたのが、イギリスを中心とする国際社会での市民運動です。2017年、英国の民間人権団体「ライダイハンのための正義(Justice for Lai Dai Han)」が設立され、事態は新たな局面を迎えました。
この団体にはジャック・ストロー元英外務大臣をはじめとする国際的な政治家や人権活動家が賛同者として名を連ね、国際機関を通じた真相究明を韓国政府に要求するキャンペーンを展開。彼らは単なる地域紛争の後処理ではなく、「現代における女性に対する戦時性暴力の根絶」という普遍的な人権課題として国際世論へ訴えかけました。
活動が世界的な注目を集めた象徴的な出来事が、2019年にロンドン中心部のセント・ジェームズ・スクエアで行われた「マザー・アンド・チャイルド(ライダイハン像)」の除幕です。ベトナムの伝統衣装アオザイを身にまとった母親が幼い子どもを優しく抱きしめるこの彫刻は、戦争の暴力に翻弄された母子の尊厳を回復するための記念碑として設置されました。 (出典: ライダイハン と は(Yahoo!ニュース))
支援団体はさらに国連人権理事会に対し、独立調査委員会の設置や、韓国政府によるDNAデータベースの構築を通じた父子関係の認定、正式な賠償基金の設立を要求し続けています。欧州を起点とした告発は、東アジアの二